photo byTim Mossholder@Unsplash
Libianca/People
魂に届く音楽と歌声でまたしても泣きそうになる。
最近泣きそうになってばっかり。笑
いとこの姉妹が先月、今月と、続けて子どもを産んだ。
普段、そこまでこまめな交流をしていない(会えばもちろん仲良しだけど)私にも「産まれたよ!」と出産当日にメッセージを送ってきてくれた。(二人とも!)
姉妹もとても仲良し。年は1歳差。
クールでアーティスト気質なカフェとコーヒーを愛するお姉ちゃん(青いウエア左←)と、お姉ちゃんとダンスが大好きで天真爛漫な妹ちゃん(青いウエア右→)は、何があっても私が絶対に守ると断言できる子たちでもある。
さらに面白いことに2人とも国際結婚をしている。お姉ちゃんは国外で、妹は国内で。そんなの今どき普通かもだけど、子どもの頃から父の影響で英語や海外に親しんで育った私は彼女たちの感覚のフラットさがたまらなく愛おしい。
子どものころは私が英語を習っていたり、父が英会話の学校の先生と言うと、間髪入れず「すごい!」と言われたものだ。
でも、その反射神経的に発生する感嘆は、細かいところを見ていけば、ある種の区別のような、あまりよろしくない系の『すごさ』ではないだろうかとも感じていた。
(別に私が流暢に英語を話せたわけでもないし)
言葉はただの言葉だし、うちの弟の親友はイラン人だったりするし、なんかそういうことって、別にすごくないよ。普通じゃね? と私は日頃からある種のフラストレーションを覚えていたのだ。
そんな経験があるからこそ、愛しい彼女たちが普通に国や言葉を超えて(超える苦労も聞いているが)人生を築いていることが誇らしくてたまらない。
ボーダーを飛び越え、愛を見つけ、新しい存在を生み出す。めちゃくちゃパワフルでかっこいい。私の自慢の従姉妹。
どこまでも幸せに、どこまでも楽しくあってほしい。何かあったら私が命張って守りたい。などと、私は勝手に強く願っている。
ってなブログを書いていたら、超ひさしぶりに連絡を取った同級生の親友が昨年子どもを産んだそう。喜びは尽きないね。広い意味で守るべき存在が増えるということで、私のまちづくり(島づくり)にも、熱が入らないわけがないのである。